これからの住まいや建築、環境のあり方について、3つほど考えたいと思います。
1)共 生(自然・とき・ひと)
私は主に次の3つが人の営みとの「共生」になると思います。
●1つは「自然との共生」です。人間も建築も自然の摂理に従うということです。この半世紀、人間が科学技術という武器で散々に自然を傷め、その挙句地球環境に影響を及ぼしてきました。共生は同質のもの・異質のものを問わず連携することですが、人間は自然と共生するどころか本当はその一部なのです。
●2番目が「時間との共生」です。人についても建築についても、まちについても言えることですが、新旧の有形、無形のものが同一場所、同時代に共存・共生しています。やがて時が経ちそれらが人々の記憶となり重層化していきます。
●最後は、「人相互の共生」です。自助のみならず、お隣同士協力し合うことで、共に生きているのです。現代の結(ゆい)で、身近な近隣同士の互助、より広域的なまちレベルの共助、公助などが考えられます。全てのものが環境として共生・共存しています。私たちは、災害危機の際には「地域の絆がつくる互助」の大切さを学びました。
2)持続可能性[サスティナビリティ]
●2番目にサスティナビリティです。つまるところ、努めて化石エネルギーを使う技術に頼らないで、無理なくこのままの調子を続ければ地球環境を汚さず子々孫々にわたって生き続けられる状態のことです。もっとも、サスティナビリティの内実は古くからありますが、いつの間にか住まいや建築の意識の外に追いやられ、環境問題の顕在化とともに時代の寵児となった観があります。
●そもそも近代以前の伝統的な社会では、古い資材や解体部材を再利用するのはごく自然なことでした。そのための技術が建築技術全体の大きな部分を占めていたのです。大きな特徴は、分解・再利用・取り替えできること=循環型であって、環境問題という高邁な理念とは無関係に自然に行われてきたことなのです。
●ちなみに日常の日本語がサスティナビリティの意味を示唆してくれると思います。
1.多少の不便や不快さにも「辛抱する」⇒技術に頼りすぎない
2.「もったいない」⇒省エネ、省資源、資源の有効活用、自然への畏敬の念
3.「お蔭さまで」 ⇒人相互の共生
4.「はんなりと、ぼちぼちと、良い加減」⇒幾分かの余裕をもつ
5.「無理しない」 ⇒省エネ
6.「足るを知る」 ⇒欲望はほどほどに
3)本物らしさ[オーセンティシティ]
●建築は、建築主自らの住居、仕事場、憩う場など機能上の要求から建てられます。一旦建つと、それは特定の個人や法人のものではない、町並みの一部で、社会や地域の共有資産でもあります。つまり、建築は個別の機能を契機として造られるものの、造られた以上、それを超えた社会資本の蓄積でもあるのです。
●ヨーロッパに行くと建築物に感動します。木の文化とは異なる石の文化で、造るに要した神技のようなエネルギーと永遠性志向の精神に圧倒されるのです。植民地から搾取してきたものであるにしろ、交易によって得たものであるにしろ、その国家が最高の富や力をもった時のものが今あるわけです。
●優れたものを造り遺しておけば、その時代に生きた人たちだけでなく、子孫まで繁栄することを示します。観光とは、サイトシーイングでなく、繁栄や輝きという光を観ることです。ですから建築が集合して観光資源になりうるものを造って大事にすることが大切ではないかと思います。古くから繁栄を極めた国々の人たちは、少なくとも祖先が数百年前から残してくれた観光資源で、ある部分は生きていると言ってもいいでしょう。
●長期にわたって生き続ける建築は、その国の、その街の顔や記憶となり、個性と愛着と憧れの形成に大いに役立っています。また建築には、時の経過とともに変わってはならないものと変化していくものとがあり、両者を見極めねばなりません。
4)「いきづく建築」を求めて
●以上のキーワードから、私たちの志向する建築は次のようになります。
@竣工後、時の経過や用途の変化に応じて維持・改修され、末永く使用される建築、
Aにもかかわらず、当初の設計の精神が生き続けるような建築、
B環境や町並みと調和しながら個性を保つ「本物らしさ」のある建築、などです。
これら3条件を備えた建築こそが、私たちのいう地球環境をも見据えた「いきづく建築」と言ってよいでしょう。
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