06.徳島県 上勝町 <無から有を生む>2003.09


上勝町は徳島市から車で小1時間、東西方向の険しい山に囲まれた人口2,300人ほ
どの小さな町です。ダムを横目にトンネルをくぐり抜けると、崖に描かれた狸の絵に迎え
られます。町の呼び名は「いっきゅうと彩の里」。「いっきゅう」とは、頓知の「一休さん」の
ように知恵を働かせ、知能指数「IQ」をもじり、考えが「一級」など、大きな志と誇りを込め
た言葉です。

● 彩(いろどり)産業を興す=「プロジェクトIQ」

彩の里は木の葉を刺身や懐石料理のツマとして売る産業で有名です。「山中のどこにで
もあるこんな葉っぱが何で売れるのか」と気乗りがしない人々を町の農協職員・横石知
二さんが説得しました。彼は、大阪の寿司屋で料理に添えられるモミジの葉が市場で売
られていることを知り、上勝の葉を売ろうと思い立ちました。農家を説得して山で拾い集
めて出荷しましたが、当初は全く売れません。諦めることなく徳島市の高級料亭に一年
間通い詰め、ツマの彩りのコツを修得できました。その間の給料の大半はこれにつぎ込
んだそうです。その後売上げは大きく伸び、今では全国に出荷出来るようになりました。

クリ、ツバキ、ドクダミなどの葉をはじめ、ササは様々な形に加工し、季節毎に彩のある
ウメ、ツツジなどを加えます。(写真1)葉やツマは百種類以上もあって、FAXやインター
ネットで受注し、空輸で遠距離にも送れます。何しろ軽いのがよい。高齢者でも無理して
力仕事をしないですみます。散歩のように山へ入ればよいのでしょう。ツマ用の小枝や葉
を、山から拾い集めてくるおばあちゃんの中には、年収が町長の上を行く人も現われ、
最近の彩産業の売上は2億円にも達しました。これこそ現代の一休さんによる「プロジェ
クトIQ」と言うべきでしょう。

写真1.彩(いろどり)産業の産物

● 身近な自然・里山を見直す

彩産業は地域独特の自然を活用し、山の維持管理もできます。柴や薪から石炭・石油を
経て、ガスや電気という燃料革命で、柴刈りのための入山が不要となりました。お蔭で松
茸が採れなくなった丹波地方と相反する方向でしょう。里山は手入れすることで燃料や食
料の補給と集落の安全に大きく関わります。一流の料亭に通い日本料理の彩の美学を
会得して自己の能力を高め、当然のありふれた環境と今まで見過ごしてきた里山を資源
と捉え直し、全国に通用する普遍的な価値を付加したことは、まさに頓知の「一休さん」
そのものでしょう。この他、山彦が最大に響くスポットを探る「山彦探し」というユニークな
イベントもあります。

● 都市と農村の新交流宿泊センター

まちの貴重な空地に第三セクターの月ケ谷(温泉)交流センターがあります。(写真2)
私は、明石海峡大橋の開通で京阪神からの外来客の増加が見込まれ、この既存施設を
拡充して「都市と農村の交流・宿泊施設」とするまちおこし委員会に招かれました。施設
計画は山間を埋める棚田を参考に提示した雛壇テラス状の計画案です。(写真3)

写真2.上勝町の貴重な空地・「平間」写真3.都市-農村・交流宿泊施設計画

委員会は「IQ塾」と呼ばれ、ユニークな着想と行動派の町の課長・山部倍生さんが中心
です。現交流センターには、食事・買物(土産)・温泉・宴会・宿泊など多くの機能がありま
す。しかし、一つの施設に余りにも多くの機能が過度に集中されると、外来客がまちの中
を歩き回らない、そのため決して町全体の活性化につながらないと考えました。何とか外
来者を歩き回らせるために、貴重な地元資源の有効活用、彩産業の現場や集落・棚田
を巡るツアーなども検討しました。

● 棚田の再評価−保全と活用

四国には檮原町を始め多くの棚田があります。司馬遼太郎さんによれば、「万里の長城
にも匹敵」し、「平安初期、自分の耕した農地でも自分のものにならないという公地公民
制の律令制度に背を向けた人々が平地の水田地帯から逃げてきた。石を積み、水を汲
む。下界に降りれば刑罰を受けるか餓死するしかないと覚悟を決めた人たちが必死でつ
くった文化遺産」で、また日本を代表する農山村景観でもあります。(写真4)

写真4.日本の代表的な農山村景観・棚田

棚田は生産の場以外に保水、洪水調節、土壌浸食防止、景観の保全など多様な価値が
あります。後継者不足と高齢化の進行に伴い、維持管理されなくなった畦畔の連鎖的な
崩壊の危機から棚田を守るために、以下のような様々な対策が考えられます。

(1) 観光資源としての農山村全体の景観保全
(2) 棚田オーナー制度のグリーンツーリズム
(3) 水稲の無農薬栽培での高付加価値経営
(4) 棚田で採れた米だけから酒を造り地元から売り出す・・・など、
  「連環型地域づくり」の実践です。

私たちは、新しい文明や都市化など便利なものだけでなく、何世代にもわたって営々と手
入れしながら築いてきた「身近な自然」にもう少し目を向けたいものです。

次 へ

「いきづくまち」トップへ